
中村さんは、障害者に対する雇用の機会があまりに少ないこと、彼らが、夢や希望の乏しい世界で仕事をしていることを凄く憤慨しています。自然が豊富な土地でのびのびと、彼ら本来の可能性と能力がどんどん開花できたらどんなにすばらしいか。周りの人たちも一緒に勝つ小津することで、いのちの選択ができ、共に輝く喜びを味わえるはず、ということで、構想を計画されたわけです。
その元をつくるのが私の役目と思っています。スペシャルオリンピックスに出会うことによって、これこそ本当の人間らしい生き方なんだ。生きるということは一人ひとりの命が輝くことなんだ、本当の幸せなんだと気づいて、価値観、人生観、ものの見方が変わっていく。そういう人たちが日本中に大勢出てくるための土台作りをさせていただく。それが私の役目と思っています。
障害をもった人も、健常者と共に行きながら自立できる。そういうことが僕の生まれ故郷で企画されている。
私はサポーターの一人でありたい。できれば、あそこに一人でも多くのサポーターが、支持者が、賛同者が参加してほしいと思っています。
私が今回の構想に関われるのは、ほんの微々たることだと思うんです。本当に自然のものを好む世界に、生の花を、生の草花を市場に出していくべきだと私は思っています。ハウスではなく自然のものだということを、矢部町の花ということで、特別契約を結んで出したほうが良いと思います。
何かをやっているということをやっぱり、町の人に知ってほしい。でも、それが特別に強制的にではなく、何かが動いているというのを見てほしい。
丸山ハイランドの話を聞いたときはとてもビックリでした。全然雲の上のようなことで、本当に実現するのかなと疑問に思いながら話を聞いていたんですけども、聞いているうちに何か楽しくなるんですよね。
下名連石に嫁いだ専業農家の主婦の下竹りえ子さん。この話を行く前からあの山が大好きで苦しいときはいつもあの山に登ったという。人間、困ったとき高い山に登ると気がスーッと晴れて苦しいことも忘れてしまう。
丸山の光景は、なんともいえない、絵に描きたいような光景だから、あの山を大事にしたいというのが夢だったという。
この構想を聞いたときは、やっぱり戸惑いました。
山梨の清里に地域づくりの勉強に行ったときにそのグループの人たちが言ったことに、やはり地域おこしをするためには、”よそ者”と”ばか者”と”若者”の三者がいないと出来ないという話を思い出しました。
私も身障者を抱えているので、どれだけ協力できるかわからないけど、できる範囲で全面的に協力できればと思っている次第です。
栽培という目から見れば、これは換金は全く出来ないけれど、花の生徒さんたちの心をいらす場として生きていくのかなという思いだった。
最初は観光化何かそんな形じゃないかという思いがあったが全く違った構想だったので驚いた。
田舎だから生活に追われるような形だから忙しいというか、精神的にも忙しい。そういう中でも、やっぱり心に豊かさを持たないといけない。そこで「花いっぱい運動」というものを提言しているが、反対する人もいるかもしれない。しかし、一生意見名する人たちだけで良い。そうしてみんなでやっていこうと思ってる。
古い家を移築するという話を中村先生から伺いました。建築を専門にしている者として一生に一度あるかないかのことです。
47年の古い家屋を移築するという大仕事。それをまた復元し現代の技術を加えて、これまで以上にもつよう復元してほしいとおっしゃる。そんな仕事に携われて、ものすごく感謝しております。
中村先生のおかげでこんなに良い勉強させていただいてとても面白かったです。矢部に生まれて良かったと思いました。
藤本千代美さん。農協を辞めて、ほとんど毎日あそこに登ったんですよ。「ここに家をつくるここに家をつくる」って呪文のように唱えてました。描いた夢は必ず実現するという言葉を信じて、中村先生のかわりに私があそこへ行って夢を描いていたんです。そうしたら、すごく早く実現できそうでとても喜んでおります。。
丸山に登り始めたのは不思議で、途中登るところに「欧風花」という看板があって、変なものを立てた人がいるんだなと思った。行ってみたら、建物があって何か植えてある。なかなか風流な人がいる。それぐらいの印象でした。
そのころ土をテーマに授業をしてました。丸山に何度も行くようになって、「矢部開拓パイロット事業」で、土地がどういう常態かわかってきて、自分で出来ることを何かしたいと思うようになった、そういう時に中村先生のこの企画に誘われました。
中村先生は、ここの住人たちをどう動かすか。人が対象になっていると思うんです。私は土ばかりだった。これから先が大変です。
都会の若い人たちというのは、ものすごく心が病んでいます。若い人たちだけではなく、30歳ぐらいのお母さん、男性も含め、その人たちは人格が非常に未熟で自分自身を「こうあらねば」という枠組みの中でがんじがらめになっています。その葛藤の中で動けなくなったり、とんでもないことをやったりということが起きている。そういう人たちに、1対1で色々ケアをしているんですけれど、言葉でいくら言ってみても通用しないんです。どうやったら人格形成を促せるかというのはもう実体験しかないんです。そうしたもろもろの思いが、この企画を聞いたとき、もうこうれだと思いました。
そういう場所があるんだったら、知的障害者だけではなく、心の病を持っている人もどんどん呼んで、ここで体験させればいいんじゃないか。それで、その人たちが癒されて新たなパワーをもらってまた成長していく。それは自然がやってくれるんだと私は思ったんです。
だから、是非このプロジェクトに関わっていきたい。
中村先生の考えで一番好きなところは、障害者が元気を取り戻す、もう基本はそこだろうと思う。役場内で説明するときも、基本は障害者が花を通じてあるいは自然を通じて元気を取り戻す場所なんですよと説明したけど、説明が下手なのでなかなかうまく理解を得ることが出来なかった・・・。しかし、今できる範囲でやろうというようなことを考えています。時間をかけて少しずつ広まるような考え方で頑張って町をあげてのプロジェクトにもっていきたいと思っています。
長尾さんとは20年ほど前からの知り合いで、スペシャルオリンピックスの活動について情報はずっと入っていました。しかし、アスリートたちが大きくなったときにどうするのか。いわゆる自立はできない、何かでサポートしてやらなければならない。
全国に作業所というのがあります。単純作業で、お金にはならない。何か独立する場所を提供しなければいけないということは聞いていました。そんなときに矢部の古い民家を立てるという話がありました。
実際につぶしているところを見て、この話は100%進んでいると思いました。野球で言えば、今までは外野席。みんなが応援しているのだったら、ぼくも旗を振ろうかというかんじだったが、今度は内野席に入ってしまった。建物が建ったら子供たちがやってくる。そうするとどう運営していくかという問題が生じる。そうなったらもうスタンドに入らないといけない。一緒に汗流してチームの一員としてやっていきたい。